「あなたはうつ病です」
2019年12月のある日突然、会社に行こうとすると嗚咽が止まらなくなくなりました。
会社に行けなくなった僕は病院でうつ病を宣告されたのでした・・・
こんにちは。この「うつの道しるべ」の管理人の「ねこべえ」と申します。
名前 | ねこべえ |
スキル・資格 | 簿記2級、経理業務歴15年、メンタルケア心理士勉強中 |
属性 | うつ病ブロガー(東証1部企業経理マン) |
年齢 | 30代 |
性別 | 男 |
生息地 | 千葉 |
家族 | 妻と2人の娘の4人家族 |
病名 | うつ病(2019年12月発症) |
趣味 | サウナ、ブログ、漫画、APPLE製品 |
執筆現在は、この様にブログをかけるまでに回復していますが、うつ病を宣告されたあたりは、ご飯、歯磨き、風呂全て日常生活ができない位ひどいうつ状態でした。
このプロフィールでは下記に、うつ病になるまでの経緯となぜブロガーを目指したかを紹介しています。
ねこべえの現在までの歴史
元々は明るい呑兵衛でした
そもそもねこべえは関西の大学出身で、そこそこ勉強も得意でした。
大学の時のねこべえは、サークルの副会長をするなど明るく、積極的なタイプでした。この時は、まさか自分が将来うつ病になるなんて思ってもいませんでした。
毎日が楽しく、週に4〜5回は飲みに行くというちょっとおバカな、でもどこにでもいるキャンパスライフを満喫する大学生だったのです。
卒業し東京の1部上場メーカーに就職
その後、東京で1部上場メーカーへの就職が決まり、そこで経理部に配属されます。そこでも持ち前の明るさで、先輩や上司からも可愛がってもらい、仕事も順風満帆でした。
社内での評価も高く、はっきり言って調子に乗っていたのだ・・・。
他の業界のメーカーへ転職を決意
新卒で入った会社で、順風満帆だったねこべえは、ちょっとした会社への不満で、転職活動を始めてしまいます。
当時アベノミクスで好景気だったことも重なり、転職活動から2ヶ月程度で面接に1度も落ちずに、希望度の高かった会社より内定をもらいます。
もうこの時は、完全に天狗でどこの会社に行っても自分は通用するんだと勘違いをしていました。
当時の会社に感じていいた不満もあり、天狗になっていたねこべえは転職を決意してしまいます。
これがうつへと続いている道とは露知らずにです・・・
結果、長時間労働とパワハラでうつ病に追い込まれる・・・
ウキウキで転職したねこべえをそんな意気揚々と転職したねこべえだったが、転職してからが本当に地獄でした。
管理人が転職した会社はかなり激務な会社でした。
そんな記載を転職サイトの口コミでも見ていたが、根拠のない自信があったため自分なら何とかできると思い、はっきり言って舐めていました。
毎日終電で帰る日々が続きます。
それだけだったらまだ耐えることができた気がしますが、それに加え有名なパワハラ上司が当時の上司と最悪な環境でした。
この上司は、過去にも何人もの人間を辞めさせていた社内でも有名な人間でした。
管理人も例に漏れずこのパワハラ上司の餌食となりました。
転職したてのため、当然味方は誰もいない。
どこの会社でもあると思いますが、パワハラを出来る人はある意味社内で一定の評価を得ていたり、もう社内でも誰も怖くてなにも言えないような状態になっていることが多いです。
それゆえ、あらがう事もできませんでした。
過労で体が、パワハラで精神がどんどん削られていく・・・。
毎日会社が辛い。夜も眠れないし、耳鳴りも酷い。
でも自分がしたくしてした転職。途中で弱音を吐きたくない。
こんな高ストレス状態が続き、辞めることも考えたが、自分が踏み出した一歩なので、ちゃんとやり切りたい思いがあり、我慢をすることを選んでしまいました。
その状態が3年続いたある日、体と頭が少しずつおかしくなっていることにふと気づくのでした・・・。
2016年に適応障害と診断される
高ストレスで激務状態で働くこと3年、頭がずっと重く感じることに気づきます。
最近、なんかずっと頭が重くて、モヤモヤした感じがする・・・。それになんか体のあちこちがおかしいぞ。これってもしかして「うつ病」かも?
勇気を持って一度心療内科にいくことを決めました。
心療内科での診断結果は、適応障害でした。
すなわち転職先の環境が合っていなく、高ストレス状態になり脳と心が適応できなくなった状態になっているという事です。
ただその時の先生は、休むかは自分で判断してという意見でした。
当時の僕は、パワハラ上司とは部署が変わりようやく少し仕事がやりやすくなった環境だったため、休みたくありませんでした。
その結果当時は休職せず働くということを選んでしまいました。
せっかく仕事もうまく行き始めた所なのに休みたくないよ。
また抗うつ薬出すこともできるとも言われましたが、抗うつ薬に強い抵抗感のあった僕は断り、その後病院にもいかず仕事を続けてしまいます。
2019年12月に遂にうつ病と告げられる
その後、しばらくは頑張ったかいもあり仕事もある程度順調にこなせる様になっていきます。
適応障害の時に発生した症状の方も以前より落ち着いた感じが続いていました。
家族もようやく少しづつ元気そうになるねこべえを見て嬉しそうでした。
仕事の調子が良くなってきたので、仕事が上手く行くまではとずっと我慢していた待望の第二子も授かることができました。
しかし良い日も長くは続かなかったのです・・・ある程度安定した状態は続いていました。
しかし2019年の秋位から、2〜3ヶ月程忙しい日が続いたある日です。
忙しくなってから少しづつ昔の適応障害の症状が出始めてるなと自覚はあったものの、仕事の量は減らず頑張り続ける日々。
ある朝起きると遂に会社に行こうとすると嗚咽が止まらなくなったのです。
会社に行こうとする行動1つをとる度に、嗚咽が止まらないのです。
これはまずいと思いすぐに病院に行った所、ついに適応障害ではなくうつ病と診断されてしまいます。
主治医が言うには、3年前の適応障害診断時からうつ状態がずっと続いていていて、今回悪化してうつ病になったのではという事でした。
うつ病になってしまった。適応障害と診断された時にちゃんと休んでいれば、ここまで悪化しなかったのに・・・
その後、2ヶ月間程勤務しながら治療を行うも、結果休職に到ります。
休職中に会社に戻りたくないと考えたねこべえは、ブログでの収入を目指すことに
休職してから、急性期を乗り越えたねこべえは、会社にもうもどりたくない思いが強くなります。
もし戻るにしても副業という形で会社とは違う収入があるだけで気持ちが変わると思いブログを始めることを決意します。
そんな中うつ病発症時、うつ病になった人のブログやtwitterを読み、うつ病で苦しんでいるのは自分一人じゃないと安心できたことをふと思い出します。
そして自分と同じ様な境遇の方へ、少しでも生きやすい道を選べる様にと「うつの道しるべ」のブログを開設します。
また同時に、間違いのない情報発信を目指し、メンタルケア心理士の資格取得に向け勉強をしているのです。